ヤエベニシダレ



ヤエベニシダレ(八重紅枝垂 Prunus pendula Maxim.cv.Pleno-rosea)とは、エドヒガン系の園芸品種の桜の一種。その名の通り、花が八重咲きで濃い紅色をしたシダレザクラである。
エンドウザクラ(遠藤桜)、ヘイアンベニシダレ(平安紅枝垂)とも呼ばれる。

特徴
樹高が5m程度の落葉高木で、日本では東北地方以南が適地であるが、北海道・道南でも栽培は可能とされる。

枝は長く垂れ、花も下垂し、開花は葉に先行する。花期はシダレザクラやベニシダレザクラと比べてやや遅く、東京では4月中旬頃。

蕾は2〜2.5cmで、散形状に2〜3個付ける。萼筒は濃紅紫色で太い壷形をしており、毛が多い。花弁は15〜20個、楕円形でややねじれており、平開しない。蕾から花弁が展開するにつれて、花色が濃紅紫色から淡紅紫色へと変化する。このため、遠目には5分咲きから7分咲きの頃に紅の色が最も濃くなり、その後次第に淡い色へと変化するように見える。

八重咲きはおしべやめしべが花弁に変化してできると考えられているが、八重紅枝垂のおしべとめしべの数は、一重咲きのものとさほど変わらないのも特徴。

名称・由来
江戸時代から栽培されている品種で、怡顔斉(松岡玄達)の「桜品」(1758年)には「千弁糸桜」として描かれている。

明治時代、仙台市長であった遠藤庸治が仙台市内で植え増やし、また、その子孫樹を各地に贈って普及に努めた。このため「遠藤桜」あるいは「仙台八重枝垂」「仙台小桜」とも呼ばれる。現在でも仙台都市圏各地でよく見られ、また、東北地方以南の日本各地に名所がある。なお、遠藤が植え増やした八重紅枝垂は、京都御所から鹽竈神社(仙台市に隣接する塩竈市にある)に下賜されたものとも、京都の近衛家の庭にあったものとも言われる。

八重紅枝垂は「伊達家の桜」とも言われる[1]が、その由来は不明。第4代仙台藩主伊達綱村が、生母の三沢初子の霊を弔うため、元禄年間に釈迦堂を現在の榴岡公園(仙台市宮城野区)の地に建て、また、京都から桜の苗1000本を取り寄せて植えており、当地は江戸時代からの枝垂桜の名所となっている。これらは仙台枝垂桜ともいわれるが、花色が白や薄紅で八重咲きでもない。この榴岡公園にも遠藤は八重紅枝垂を植えており、園内では仙台枝垂桜と混在している[2]。八重紅枝垂が「伊達家の桜」といわれるのは、各地に普及する中で、榴岡公園の仙台枝垂桜の由緒と混同した可能性が考えられる。

遠藤は、1895年(明治28年)創建の平安神宮にも八重紅枝垂を献上しており、現在、境内の300本の桜の内、八重紅枝垂は半数の150本を数える。特に、本殿の背後にある庭園「神苑」の八重紅枝垂の並木は例年ライトアップされ、夜陰に浮かび上がる桜、そして、池に映り込む桜の美しさにより、多くの観光客を惹き付けている。また、平安神宮の八重紅枝垂は、谷崎潤一郎の「細雪」や川端康成の「古都」にも登場するほど著名で、関西地方では八重紅枝垂を「平安紅枝垂」とも呼ぶ。

(ウィキペディアより)

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