とうやく381号(2008年1月号)学術欄HOME > 学術欄 |
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薬学教育における分析化学の役割
東京薬科大学 薬学部構造生物分析学教室 教授 渋澤庸一 (大21) (Shibusawa Youichi)
はじめに 2006年より、薬学6年制がスタートして早くも2年が経とうとしている。少子化の影響や薬科大学、薬学部の増設に伴い、近い将来「大学全入学時代」はもとより、ひょっとすると「薬科大学、薬学部入学希望者全入学時代」が来るかもしれない。薬学6年制の2年目である2007年度には薬科系大学の定員割れも目立ち始めている。薬科大学や薬学部の中には定員の40%しか入学していない私立大学も見うけられるのが現状である。このように厳しい状況から東京薬科大学が生き残っていくためには、最善の教育システムに裏打ちされた、魅力ある薬学部を構築していく必要があると思われる。そこで、本学の1年生に化学平衡論や分析化学を教えている立場で、薬学部における教育制度の変革と基礎薬学科目である「分析化学」教育について考えてみた。
薬剤師国家試験出題基準と分析化学 薬剤師国家試験が適切な範囲から出題され、一定の基準に保たれることを目的として、1985年3月に薬剤師国家試験出題基準が初めて制定された。その後、4度の改定を経て2004年に現行の基準となっている。その基準の中から分析化学に関連した部分を抜き出して表1に示した。薬剤師国家試験の出題分野は「基礎薬学」、「衛生薬学」、「薬事関係法規及び薬事関係制度」、「医療薬学」の4つの分野に分類されていて、現行の国家試験では、それぞれ、60問、40問、20問、120問出題されている。「基礎薬学」の中には、薬学概論、物理化学、有機化学、生薬学、生化学、放射化学、機能形態学、分子生物学、免疫学、微生物学と分析化学(日本薬局方試験法を含む)が含まれる。学生諸君の間では分析化学関連科目の存在感は薄く、「難しい、計算問題が多い、取っ付きにくい」などの印象をもたれがちである。しかしながら、分析化学関連科目は、薬学を学ぶ上でいかに重要であるか、将来、薬剤師になってから分析化学がいかに必要であるかをもう少し考えてもよい気がする。 表1 薬剤師国家試験出題基準(分析化学関連項目)
「基礎薬学」に含まれる分析化学関連科目 「基礎薬学」に含まれる分析化学系の科目で、本学の講義科目として、化学平衡論、分析化学、機器分析学、臨床分析化学がある。化学平衡論と分析化学は1年生、機器分析学と臨床分析化学は2年生で習得する。化学平衡論は、化学物質の性質、化学反応、化学組成などにおける量的関係を解析するための基礎理論である。特に、物質の定性、定量を扱う分析化学において不可欠の概念である。分析化学では、化学平衡論で習得した知識を活用して、化学量論に基づいた化学分析法である容量分析法を学ぶ。機器分析学では、現在,汎用されている各種機器分析法の原理から応用までを習得し、バイオテクノロジー領域へ発展させたときの技術を学習する。臨床分析化学では、臨床や薬学研究で分析技術を適切に応用するための、代表的な分析法の基本的知識と技術を習得する。これらの科目が薬剤師国家試験問題に出題されるので、学生諸君は最低限対応できる基礎学力を身につけておく必要があるばかりでなく、高学年になって、「衛生薬学」、「医療薬学」を学び、理解するのに必要な基礎知識がたくさん含まれていることを忘れてはならない。
薬学教育モデル・コアカリキュラム 学校教育法と薬剤師法の一部改正に伴い、薬学部は、主に臨床に従事する薬剤師を育成する6年制と創薬や薬学研究に従事する4年制に分かれた。6年制では、卒業と同時に薬剤師国家試験が受けられるが、4年制では、大学院博士前期課程を修了後、病院・薬局実務実習や医療薬学系科目などの必要な単位を取得し、更に、厚生労働大臣が認めた場合にのみ、国家試験の受験資格が得られる(2017年入学生まで)。全国の薬科系大学や学部では、4年制、6年制を併用している大学と、6年制のみの制度をとる大学に2分したが、本学では6年制をとることとなった。 新制度に伴い、カリキュラムが見直され、生命科学や科学技術の進歩と時代の要請に合わせた内容で、かつ「教員主体」から「学生主体」の内容を含んだ、「薬学教育モデル・コアカリキュラム」が日本薬学会から発表された。このカリキュラムでは、一般目標(general instructional objective, GIO)と到達目標(specific behavioral objectives, SBOs)が示された。したがって、学生諸君には、はっきりとした目標が明らかになったので、何をどこまで、どの程度まで学習すればよいかが分るようになった。さらに、4年修了時までには、病院・薬局実務実習を行うのに必要な基本的な知識・技能・態度を身につけていなければならないので、実務実習の前に、共用試験(computer based testing, CBTとobjective structured clinical examination, OSCE)に合格しなければならない。このCBTは「薬学教育モデル・コアカリキュラム」の中から出題されることになっている。 薬学教育モデル・コアカリキュラムの中で、分析化学関連ユニットとして、(1)化学平衡、(2)化学物質の検出と定量、(3)分析技術の臨床応用、(4)生体分子を解析する手法、(5)生体分子の立体構造と相互作用がある。(1)から(5)のユニットには次のSBOsが含まれている。酸と塩基、各種の化学平衡、定性試験、定量の基礎、容量分析、金属元素の分析、クロマトグラフィー、分析の準備、分析技術、薬毒物の分析、分光分析法、核磁気共鳴スペクトル、質量分析、X線結晶解析、相互作用の解析法、立体構造、相互作用などで大変盛りだくさんな内容である。これらの分析関連ユニットを低学年のうちに学び、理解しなければならないので学生諸君も大変である。
薬剤師国家試験と分析化学 前にも述べたが、薬剤師国家試験240問中「基礎薬学」は60問しか出題されないので、「基礎薬学」に含まれる分析関連科目は、学生諸君には大変軽視されがちである。しかしながら、低学年で分析化学の基礎を徹底的に理解することは大変重要である。分析化学実習・演習を通して、日本薬局方の医薬品の定量法や、定量値の取扱い、計算能力、単位、有効数字の意味など基本的な事項を身につけさせることが必要である。 分析化学、物理化学などの基礎科目を理解し、十分な実力を蓄えておけば、薬剤師国家試験に120問も出題される医療薬学分野の問題にも十分に対応できる学力が培えるはずである。したがって、「基礎薬学」に含まれる分析化学はもちろんのこと、他の基礎薬学科目についても、しっかりとした基礎固めを怠らなければ、応用力を問う薬剤師国家試験問題にも対応できることは間違いないであろう。そして、本学の薬剤師国家試験合格率のさらなる向上が期待できる。
薬剤師のための分析化学 薬剤師の就職先は、病院や薬局だけでなく、一般企業や製薬会社などさまざまであるので、こういう職場でも分析化学が活かされなければならないと思う。薬学分野の分析化学は、合成医薬品の純度の検定、医薬品混合製剤の分析、医薬品の安定度の試験、医薬品の代謝、血中濃度の測定、医薬品の製造と投与において、膨大な量の情報を提供していることは間違えない。分析化学の進歩はめざましいが、医薬品も次々と新しいものが開発されたり、ジェネリック医薬品も導入され使用されるようになってきた。この時代の進歩に遅れないためにも、薬剤師は確実な分析化学に関する基礎知識を身につけておく必要がある。 病院や薬局では、調剤や服薬指導、薬物治療情報、薬効・毒性の評価ができることはもとより、人の心の痛みのわかるような薬剤師を育成しなければならない。また、チーム医療に貢献できる「薬の専門家」として、薬について十分な知識と思考力に富んだ薬剤師が必要である。医者、看護士、理学療法士、栄養士、薬剤師などから構成されるチームの中で、薬を化学物質として捕らえられるのは薬剤師だけである。 臨床の場では、単一の薬物で治療される場合よりはむしろ多剤が併用されることが多く、薬物相互作用はいつ起こるかわからない。このような薬物相互作用をしっかりと把握し、対処できるのは薬剤師である。また、医薬品の酸および塩基の電離定数 (Ka, Kb) の値から、さまざまなpHの溶液中で主成分が何%分子型で存在するのか、何%イオン型になっているにかをきちんと計算でき、医薬品の吸収排泄について理解できるのも薬剤師の役割である。 薬の投与量の単位をミリグラムとマイクログラムを間違えたり、液剤の濃度計算を間違えば、それこそ大変な医療事故にもつながりかねない。したがって、単位の重要性、濃度計算、pH計算など、本学の低学年で学んだ分析化学の重要性が示される。そこで低学年のうちから、暗記にのみ頼らずに物事を論理的に考えられる基礎的知識を身につけられるような分析化学教育を行なっていきたいと考えている。
(略歴) 1976年 東京薬科大学修士課程修了 1976年 4月~1989年 9月 東京薬科大学助手 1987年 薬学博士 学位取得 1989年10月~2000年 3月 東京薬科大学 講師 1990年 6月~1991年11月 米国国立衛生研究所(NIH)博士研究員 2000年 4月~2007年 3月 東京薬科大学 助教授 2007年 3月~2007年 9月 東京薬科大学 准教授 2007年10月~ 東京薬科大学 教授
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