とうやく387号(2010年1月号)学術欄

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学校薬剤師制度誕生80年
-薬剤師のボランテイア精神が後押し-

 東京薬科大学薬学部
 社会薬学研究室准教授 宮本法子 (大20)



世界に類をみない学校薬剤師制度
 学校薬剤師の創成期から80年、わが国独自の学校薬剤師制度は、世界に誇ることができるものである。この制度設置に関しては、ある誤薬事件が発端となっていることは知られていたが、謎の部分が多かった。
 昨夏、小樽市学校薬剤師会・会長岡崎政智氏より「小樽市学校薬剤師会40周年記念誌」をご寄贈いただき、この誤訳事件の真相を明らかにすることができた。また、制度確立に当たっては、多数の薬剤師のボランテイア活動が深く関わっており、驚くべきことには、本学出身の先輩方が献身的に活動されていたことも判明した。本学の設立130周年を迎えるにあたり、先輩諸氏が必死の覚悟を持って設置しようとした学校薬剤師誕生のエピソードを紹介し、昨今の新たな学校薬剤師の動きについても報告したい。

ある小学校での誤薬事件が発端
 学校薬剤師の誕生に関しては、今日まで、ある小学校で胃腸薬を飲ませるところ誤って昇汞を飲ませた死亡事件が発端であると長い間伝えられてきた。
 それが “ある小学校”とは「北海道小樽市の奥沢小学校」であることが判明し、また胃腸薬を飲ませるところ誤って昇汞を飲ませたのではなく、「女子生徒が風邪に罹り目眩がして倒れたので“アスピリン”を服用させる積もりが誤って昇汞を飲ませた」というのが新事実であることを確認できた。(『小樽新聞』昭和5年3月19日夕刊)この事件の2日後の3月20日、生徒は絶命したのである。


 当時この報道は教育界を震撼とさせ、責任の所在は教育課長まで及んで世論をわかせた。その問題点の第一は、何よりもまず多数の人命を預かる学校で、毒物や劇薬が区別されずに置かれていたという事実である。しかも、取り扱う者がすべて無資格者であった。そこでは薬品管理上の責任を問われる訳であるが、責任や処罰よりも制度の欠陥や是正が先決であるとの考えから、早速、小樽市では条例を作り、各学校に薬の専門家である薬剤師を配置することを決めた。これが小樽市が学校薬剤師を委嘱するに至った発端である。
 1931年(昭和6)5月、小樽市で初の学校薬剤師の委嘱状が小樽市学校薬剤師会長岡島元治郎に出され、翌月8名の学校薬剤師が選出された。(19校を担当)7月には、第1回学校薬剤師会を開きこれが事実上小樽市学校薬剤師会の発足となる。昭和8年には、各学校の薬品取扱いの基準を示す典拠として「小樽市小学校薬品準方」を完成した。
 このようにすぐに行動を起こしたのは小樽市の薬剤師だけではなかった。全国の開局薬剤師の動きもまた迅速であった。日本学校薬剤師会によると、この事件が発端となり1930年(昭和5)5月に東京市麹町区で学校薬剤師荻村武郎(市会議員、本学出身)が初めて委嘱されたと記述されている。
 昭和初期において、全国の学校には救急薬品をはじめ理科用薬品など置かれ、その管理は必ずしも十分とは言えないものであった。このような事態が事件を引き起こすことになったとの猛省から、学校での医薬品管理の必要性が迫られたのである。
 全国の心ある薬剤師はその専門的職能を活かして、学校に備蓄するくすりや化学薬品の管理を受け持つボランテイア活動を展開していった。この活動が学校や地域社会に賛同を以って受け止められていったことは言うまでもない。

ボランテイア活動から学校薬剤師設置へ
 学校薬剤師制度の重要性については、日本薬剤師協会はもとより、世論にも理解され承知されていたが、法的な規定がないため進展が阻まれる状況もあった。そのためこれらを啓発するために全面的な普及と促進を計画し、1931年(昭和6)衆議院に「学校薬剤師の設置」を請願した。紹介議員は荒川五郎(教育家)及び山下谷次であり、同年3月これが採択された。
 その後、東京市各区、大阪、名古屋市に、次々と学校薬剤師が置かれるようになった。当時の職務内容は、学校内の薬品管理が主であったが、やがてプールの水や教室の空気管理等に拡大していった。この頃の多数の学校薬剤師は、無報酬で活動していたことに留まらず、使用器具や薬品や指導資料等は、ほとんど個人の自己負担であった。
 このような悪条件であったにもかかわらず、1939年(昭和14)第一回全国学校薬剤師協議会が名古屋市で開催され、107名の学校薬剤師が参加した。この開催に当たっては、名古屋市学校薬剤師会は自費で非常な熱意をもって、準備を進めたことが記録されている。 1947年(昭和22)には、学校教育法が教育基本法と共に制定施行され、「学校の環境の整備」(施行規則49条)という、今日の学校環境衛生につながる文言が提唱された。
 学校薬剤師制度は、これまでの活動の成果によって、1954年(昭和29)学校教育法施行規則により法制化され、学校薬剤師が初めて位置づけられその性格や職務が定められた。その内容は、(1)学校(大学を除く)には、学校薬剤師を置くことができる、(2)学校薬剤師は、学校薬事衛生に関する職務に従事する、(3)学校医、学校歯科医又は学校薬剤師は、それぞれ医師、歯科医師、薬剤師でなければならない、ことが明記された。
 しかし、ここに至るまでの道程は決して平易なものではなかった。前述のように多くの先駆者の方々のボランテイア精神に支えられた実践活動によって、この日を迎えることができたのであった。

日本学校薬剤師会の設置
 さらに1958年(昭和33)には学校保健法制定公布により、学校薬剤師の必置が法文化され、その16条に学校薬剤師の必置制が唱えられた。また、学校薬剤師の職務執行の準則(施行規則第25条)が示され、身分と職務が確立され、(1)学校環境衛生(換気、採光、照明など)、(2)学校には学校医、大学以外の学校には学校歯科医又は学校薬剤師を置くものとする、と明記された。紆余曲折のあった「必置制」までの経緯を『日本薬剤師会誌』(同会、1994)と当時の『薬事日報』から振り返ると、難問山積の状況の下で多くの薬剤師関係者の中で5人の必死の折衝があってようやく成就したことが伝わってくる。可児重一(日本学校薬剤師会長・日薬副会長)、小林泰朔(第2代東京都学校薬剤師会長・日学薬副会長) 永山芳男(日薬理事・第3代日学薬会長)、高野一夫(参院議員・日薬会長)、野沢清人(衆院議員・日薬常任顧問)が、その人たちである。特に、可児、小林、永山は「学校薬剤師の父」と呼ばれ、学校薬剤師の法制化に奔走した先駆者として知られている。


学校薬剤師活動に対する注目
 学校薬剤師の設置が法文化され約50年を経て、学校薬剤師の会員数は、17,000名を越えている。(2002年現在)
 学校薬剤師は、長年の間、健康的で快適な学校環境の維持管理を行うものとして、(1)保健学習や環境教育への積極的な参画、(2)保健室、理科室やプール等の適正な薬品管理、(3)学校におけるシックハウス対策、(4)学校給食における衛生管理など、薬剤師が専門的な立場で、また学校保健会の一員として、学校環境の維持改善、保健衛生について指導・助言をし、必要に応じて検査・測定を行い、児童、生徒および学校職員の快適な教育環境を守り児童・生徒が最善の環境で学習できるよう努めてきた。
 しかし、最近では児童、生徒の内外における心身の健康問題が深刻化する中、新たな学校薬剤師の活動が期待され注目されているのである。

社会的ニーズに対応する学校薬剤師-地域保健活動の担い手として
 2006年(平成18)の薬事法改正に伴う付帯決議の中に「学校教育においても医薬品の適正使用に関する知識の普及や啓発に努めること」が明文化されたことの影響も大きい。この付帯決議の背景には、昨今の学校の児童生徒の心身の健康に関する現代的課題(薬物乱用、肥満、生活習慣病、感染症、いじめ、拒食や不登校等)の深刻化も挙げられる。特に青少年の薬物乱用が社会問題化する中、高校の学習指導要領では、「クスリ」の使い方を含めた薬の大切さを理解するために、薬物の乱用と並んで「医薬品の正しい使用法」 の学習が新しく盛り込まれ、中学校でも2012年(平成24)から実施されることになった。だが、小学校では「薬育」は広まりつつあるが、学習指導要領への記載はない。
 今後は、学校薬剤師が、従来の禁煙や薬物乱用防止教育に加えて薬剤師という専門家の立場から子どもたちに「くすり」の使い方を含めた薬の基本知識を教え、児童たちが自分の健康に必要なことを判断できるような力をつけていく新たな「くすりの正しい使い方」教育を展開していくことが求められる。
 また、本年4月に学校保健法が学校保健安全法に改正され、学校薬剤師は、学校の教職員を始めPTA、地域住民と協力し合い、子どもたちの心身の健康を守る地域保健活動の担い手として期待されることになった。新たな役割にいかに応えていくか、学校薬剤師の力量が問われる新しい時代が始まった。
 最後に、本稿をまとめるに当たり、資料のご提供ならびに文献蒐集にご協力をいただきました岡崎政智氏、また貴重なご助言をいただきました西川隆氏(日本薬史学会評議員)に感謝いたします。

参考文献
1)宮本 法子、西川 隆:学校薬剤師の創成期から80年 誕生をめぐる新事実と必置制までの足跡―小樽市の女子生徒誤薬事件が発端、薬事日報(2009年3月11日、13日号)
2)小樽市学校薬剤師会:小樽市学校薬剤師会40周年記念誌、同会(2001)
3)日本学校薬剤師会:日本学校薬剤師会50年史、同会(1989)
4)日本学校薬剤師会:日本学校薬剤師会史、同会(2006)
5)日本薬剤師会:日本薬剤師会史、同会(1973)
6)日本薬剤師会:日本薬剤師会史、同会(1994)

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