液体シンチレーションカウンタの進歩
筆者がLSCに初めて出会ったのは1961年5月留学先の米国の研究所においてであった.おそらく,LSCを使った最初の日本人の一人であろう.今日,LSCは最も普及した放射線測定装置であるが,ユーザーはその原理を理解せず,最近の機械性能の進歩をフルに活かさないまま使っている恐れがある.恥ずかしながら,筆者自身もMDに関わるまではLSCの最近の進歩について無知であった.まず,LSCの原理と最近の進歩について述べる.
LSCの原型は3つの波高選別器 (discriminator) 1,2,3(選別電圧の低い側から)と録数器からなり,あらかじめ条件設定されたdiscriminator 1と2で形成されたチャネル(Aチャネル)で3Hを,discriminator 2と3で形成されたチャネル(Bチャネル)で14C を計数する仕組みになっていた.外部線源に対する計数を指標にしてクエンチングを補正する方法が開発され,LSCは一気に普及した.現役中,LSCは,試料をバイアルに採り,シンチレータを加え,装置に装填し,計数条件をあらかじめ設定してスタートボタンを押しておけば,翌朝にはdpm値がプリントアウトされている,はなはだ手のかからない機械であるという認識しかなかった.
その後,電算機の普及につれてLSCもマルチチャネル化された.現在ではとりあえず計数処理して全情報を電算機に記憶させ,波高スペクトルを見て計数の最適読取り条件を選ぶことができるようになった.このことは,計数データの解析に極めて大きなメリットをもたらした.すなわち,原型では計数開始時にしかできなかった計数条件の設定が,計数処理後に最適読取り条件をtry and errorで選択できるようになったことを意味している.なお,マルチチャネル化に伴って,Aチャネル,Bチャネルと呼んでいたのはそれぞれ3Hウインドウ,14Cウインドウと呼ぶべきであることを筆者は指摘した(6).
長い間,一種の放射線計数装置として見なされてきたLSCは,その英語名liquid scintillation spectrophotometerが示すように,何千チャネルという高いエネルギー分解能を持つ,分光器としての機能もあわせ備えた放射線計数装置であることをLSCユーザーは認識するべきである.現在, LSCのデータは例外なく計数値だけが提示されているが,これは,吸光度分析でいう吸光度だけを提示していることに相当する.BG試料を含め代表的な試料についてはβ線波高スペクトルを提示することによって計数データの信頼性を一段と高めることができる.
Low BG LSCの構成
Fig. 2には汎用型LSCとLow BG LSCの構成を示した.
Fig. 2 Block diagrams of a conventional LSC and Low BG LSC
計数試料はバイアルに採られ,シンチレータに溶かし,PMTの間に置かれる.14Cの壊変によって放出されたβ粒子は蛍光体分子と衝突して蛍光を発する.この蛍光をPMTの光電面で受け,電子増幅して1つの計数として取り出すのがLSCの基本原理である.
14Cのβ壊変によって発生する光子の数は,そのβ線のエネルギーとシンチレータの蛍光効率によって決まり,前に解説したように平均して300個ぐらいと見積もられる.これらの光子が四方八方に放射される. PMTの光電面がバイアルを望む立体角を10%とすると,PMTの光電面には30個の光子が入射し,電子(一次光電子)を放出させることになる.一次光電子はPMTによって電子増幅され,1つの計数として取り出される.
原理は簡単であるが,実用的な計数装置にするには2つの工夫が必要であった.その第1は熱雑音thermal noiseに起因するBGをいかに低くするかであった.最初とられた手段は,PMTの熱雑音は温度に比例して指数関数的に多くなるので検出部を冷蔵庫内に納めることであった.その第2は,計数試料を一直線上に(機種によっては直角に)置かれた2本のPMTに挟んで置き,2本のPMTを同時に作動させた信号だけを計数する回路,同時計数回路(coincidence circuit)を採用することであった.初期のPMTの分解時間(相次いで入射した2つの放射線を2つとして認識する最短時間)が長かったので,2つの熱雑音が同時に入射して“偽計数accidental coincidence count”になり,BGを高める一因になっていた.技術の進歩によって熱雑音が少なくしかも分解時間が十分に短いPMTが入手できるようになり,計数部の冷却は必ずしも必要なくなった.逆に分解時間をあまり短くすると,蛍光のエネルギーを完全に取り込むことができないので,最近の装置ではPMTの分解時間を約20 nsに調節して使っている.
同時計数回路を通過した信号は,信号ごとに出力が合算され,波高分析装置 multi channel analyzer(MHA)で波高分析される.PMTの電子増倍率は一定でも,MHAに入る信号の強度は,そのβ壊変でβ線として放出されたエネルギー,発光効率(クエンチングの程度),β壊変が起った位置(PMTの光電面を望む立体角は位置によって異なる)などによってまちまちである.かくして,横軸にチャネル番号,縦軸にそのチャネルで読み取られたパルスの数をプロットするとパルス波高スペクトルpulse height spectrumが得られる.
Low BG LSCでは,汎用型LSCに対して次の点が改良されている.検出部は,等角度に配置された3本のPMTからなるセンター計数管と,これを取り巻くプラスチックシンチレータを検出器とするガード計数管から構成されており,両計数管を同時に作動させた放射線信号はカットされる回路(逆同時計数回路anti-coincidence circuit)で結線されている.この回路によって宇宙線由来のBG放射線は有効に消去される.また,Low BG LSCでは3本のPMTが用いられており,2本ずつ3組の同時計数回路によって結線されており,accidental coincidence countを更に小さくしている.また,PMTを2本から3本にすることによって,バイアル内での発光を50%も多く捉えることができるため,汎用型に比べて“クエンチングに強い計数”が可能になった.
LSCでは,各試料のクエンチングの強度を示す目安として外部標準チャンネル比 (ESCR) が使われている.これは,計数試料にγ線を照射し, コンプトン散乱で生じる二次電子のスペクトルの形状を測定することによって求められた値で,この値が小さいほどクエンチングを強く受けていることを示す.従って,ESCRを指標にしてグルーピングし,グループごとに最適ウインドウで計数することもできる.BG値とESCRの関係については後で解説する.
各試料,各機種によるβ線波高スペクトル
冒頭で述べたように,現在用いられているLSCは何千チャネルという高いエネルギー分解能を持つ,分光器としての機能もあわせ備えた放射線計数装置である.Fig. 3は,水,尿(いずれも5 mL)及びそれぞれに1 Bqの 14Cを添加した試料をLow BG LSC及び汎用形LSCで測定して得られた波高分布曲線の例を示す.なお,1500 ch以上は省略してある.
まず注目すべきことは,β線波高スペクトルはバイアルのサイズによって微妙に異なることである.内容積145 mLの大型バイアルを用いたときには500 chまでで出終っていた14Cのパルス(Fig.1)は,標準サイズバイアルでは800 ch まで現れていることである.すなわち,標準サイズバイアルでは,大型バイアルに比べて波高スペクトルが高波高側に若干シフトした状態で計数していることが分かる.
Fig. 3 Pulse height spectra of 5 mL human urine and related samples
普通,14Cは,下限選別電圧を数keVに上限電圧を14C β線の最大エネルギー156 keVに設定した,Bウインドウと通称されるウインドウで計数されている.
まず,水と尿を Low BG LSC 及び汎用形 LSC で測定して得られた A〜C を比較する.A は装置自身の BG(machine noise)のスペクトルと看做すことができる.C では,全領域に渡って計数が A よりわずかに高い傾向が見られる.これは,尿に存在する modern carbon 由来の 14C (800 ch付近まで,Fを参照)を初め,尿中に存在する内因性放射性同位体(40K)に起因するものと考えられる.同じ尿を 2 つの液シンで測定した B と C を比較する.C では全領域にわたって計数が低い.特に50 ch以下の計数が顕著に低下している.この事実は,逆同時計数回路によって高エネルギー宇宙線が極めて有効にカットされていることを示唆している.
次に,1 Bqの14Cを添加した試料を測定したD〜Fを比較する.Dでは,50 から200 chにかけて頂上部を形成し,1500chに向けて緩やかに下降していくスペクトルになっている.水自身がかなり強いクエンチャーである.尿では,カラークンチングが加わるので更に強いクエンチングが現れる.Low BG LSC で測定して得られたFでは強度のクエンチングによってスペクトル全体が低波高側に圧縮された形になり,800 ch 以降の信号強度は,Cの相当する領域のそれとほぼ同じになっている.このことは,14Cのパルスは800 ch まででほぼ完全に読み終わっていることを示唆している.低波高側に圧縮される傾向は,汎用型LSCで測定して得られたEでは更に顕著に現れている.Low BG LSCでは,PMTを3本使っているので,バイアル内での発光を汎用型に比べて50%も多く取り込んでいることが,Low BG LSCでは“クエンチングに強い”測定を可能にしていると説明される.
Fig. 3 E, Fから明らかなように,5mLの尿では,水による化学クエンチングのみならずカラークエンチャーも強く受けることになる.クエンチングを受けている試料の測定において,Eff を大きくするために上限波高選別電圧を上げると,BG 計数も高くなる.従って,上限波高選別電圧をどこに設定するかが重要な課題である.放射能の測定精度は計数効率の1乗,BG値の1/2乗に反比例して向上する.そこで放射線測定器(法)の性能比較には Eff 2/BG (figure of merit, FOM)が用いられている.FOM値が最大になるように波高選別器のウインドウ (最適ウインドウ,optimal window) を設定することが肝要である.参考までに,Fig. 3 D, Fには最適ウインドウの位置が示されている.
Table 1は,いずれも5mLの各種の計数試料をB ウインドウと最適ウインドウで読み取った計数データで,ウインドウ設定の重要性を示す表である.( )内に与えられているEffは,1Bqを添加した試料の計数率値の増加から算出した.[ ] 内に与えられている数値はFOM値である.
Table 1 The discriminator voltages of windows and counting rates
最適ウインドウで計数することの重要性
低レベル試料の測定においてLOQを決めるのはBG試料で観察されるSDの大きさである.水試料について比較すると,BウインドウのEffは最適ウインドウのそれよりもはるかに高いが,BGも高い.その結果,最適ウインドウで計数した場合のLOQは3.3 mBq/mL,Bウインドウで計数した場合のそれは6.2 mBq/mLとなる.尿について検討すると,最適ウインドウで計数した場合のLOQは8.5 mBq/mL,Bウインドウで計数した場合のそれは13.2 mBq/mLとなる.最適ウインドウで計数した場合のFOM値はいずれも約2倍向上していることは注目すべきことである.同じ測定装置,同じ時間と労力をかけながら,ウインドウ設定の仕方によって性能が2倍も向上することを強調しておく.
最適ウインドウで計数することの重要性を示すもう1つの例を,尿中内因性14C BG値の変動を検討した研究(Fig. 7)で紹介する.
AMSに関する多くの総説では,AMSの感度はLSCの1000倍であると紹介されている.最近,ヒトに14C標識薬物を投与し,尿中の14CをAMSで測定した宮岡らはLOQ として1 dpm/mL urineを報告している(7). Low BG LSCを用い,最適ウインドウで5 mLの尿を100分間計数した場合のLOQはAMSの 2倍に向上している.今回,LSCに関して一般に考えられているよりはるかに高い感度が得られたのは,Low BG LSCを用いたこと,試料量を可能な限り大きくしたこと,最適ウインドウを採用したことなどによると考えられる.
Fig. 4 A, Bには,Low BG LSC及び汎用型LSCでそれぞれ100分間, 10分間計数した場合の計数率値の直線性を図示する.本図において,Effは直線の勾配,BG値はy軸の切片として与えられる.
Fig. 4 Linearity of sub-Becquerel 14C (human urine 5 mL)
まず,Fig. 4Aについて考察する.Low BG LSCのBG計数は5.3 cpmで,汎用型の14.1cpmに比べて約3分の1に低下している.また,Effはそれぞれ79.3 %,67.1% である.放射線測定装置(法)の性能は,Eff2/BGで与えられるFOM値に基づいて評価されている.Fig. 4AのデータからLow BG LSC及び汎用型LSCのFOM値はそれぞれ1177,320と算出される.すなわち,Low BG LSCではBG計数が低くしかもEffが高いので3.7倍高い性能を持っていることになる.
Fig. 4Bからも同じ結論が得られる.Low BG LSCのFOM値(1011)は,汎用型LSCのそれ(284)に比べて3.6倍も高い.
Low BG LSCの経済効果
放射能の計数精度は.計数時間の1/2乗に比例して向上する.Low BG LSCが汎用形LSCに比べて3.6倍高い性能を持っているということは,前者による10分間計数の精度は後者による100分間計数の精度に相当するということである.薬物動態研究には,研究者の人件費,実験動物の購入,飼育費,標識薬物の購入費,動物実験費,廃棄物処理費などのほかに帳簿に計上されない様々な経費が嵩んでいると思われる.汎用型LSCをLow BG LSCに切り代えることは,研究費,実験所要期間などは同じでone rank 高いデータが得られる(例えば,1半減期低濃度まで追跡できる)ことを,あるいは1台のLow BG LSCで,計数精度を維持したまま10台の汎用型の試料を処理できることを意味している.これらを総合的に考えると,汎用形LSCをLow BG LSC に置換することは,初期の超過投資も短期間内に回収できることは明らかである.
β線波高スペクトルも提示しよう.
LSCといえば計数率値 cpmのみを取り上げ,その計数がいかなる状況のもとになされたものかを言及している論文は皆無である.MDでは,強くクエンチングを受けている試料を扱うことになる.したがって,β線波高スペクトルも提示し,最適条件で計数されていることを立証しておくべきである.一例を挙げる.Fig. 5は,Low BG LSCで計数率値の直線性を見たTable 1のデータから読み出したβ線波高スペクトルである.注目すべきことは,0.03Bq の14Cを添加した試料(0.36 dpm/mL urine)で既にBG試料と有意の差が認められていることである.この場合,計数率と共に,このスペクトルデータをつけ加えることによってデータの信頼性は一段と高まると思われる.筆者は,今後はBG試料を含めて議論の鍵になる試料については計数率データと共にスペクトルデータも提示することを提案する.
Fig. 5 Pulse height spectra of sub-becquerel 14C(human urine 5 mL)
Low BG LSCにおける選択肢
Low BG LSCは環境放射能の測定を目的に開発され,使われているLSCで,薬物動態研究の分野において全くの新参者である.MDにおいて,Low BG LSCの使い方には,大型バイアル(内容積145 mL)を使用する方法,アタッチメントを用いて標準サイズバイアル(内容積20 mL)で測定する方法,試料を燃焼して生成した二酸化炭素をアセチレン経由ベンゼンに変換し,標準サイズバイアルで測定する方法(9)の3つの選択肢がある.
現在,市販されているLow BG LSCは大型バイアルに対応できるように設計されており,一度に装填できる試料数は25個である.このサイズではシンチレータ消費量が大きいこと,計数過程における汎用型LSCとの互換性がないこと及び計数値を直接比較できないことなどから,筆者らはアタッチメントを用いて標準サイズバイアルで測定している.ネックは重遮蔽が必要な測定室の容積である.標準サイズバイアル専用なら,ほぼ同じ遮蔽強度を維持して,一度に50個装填できる機械も設計可能と聞いている.一度に装填できる試料数が少ないことが,汎用型LSCを使い慣れた者にとっては不満とも考えられる.筆者は次の2つの事情から,差し当り現存の型で満足している.ヒトの実験では,動物実験に比べて試料は著しく厳選され,一人当りの試料数はせいぜい全部で25試料と考えられる.また貴重な試料を10分計数で終わるのはもったいない話である.結局,1被験者から出る一連の試料の数が25になるように実験計画を立て,1試料30〜100分間計数して1〜2日間で計数作業が終わるのが合理的なところであると考える.また,現在進行中であるが,測定対象をプラズマや大便に拡張した場合,標準サイズバイアルでどこまで試料サイズを大きくできるか不詳で, 場合によっては大型バイアルを使わざるをえない可能性もある.
Low BG LSCによれば,10分間計数で汎用型LSCの100分間計数の精度が得られる. Low BG LSCの長所が認められて,Low BG LSCがLSCの主流になり,例えば,ラジオHPLCのoff-line計数などにも広く用いられるようになった場合には,標準サイズバイアル専用の機種の市場性が出てくると思われる.なお,Low BG LSCがラジオHPLCのoff-line計数法として有望なことについては後述する.標準サイズバイアル専用の機種では,光電子増倍管をバイアルにより密着でき,蛍光をより高い幾何学的効率で捉えることができるので,それだけ好条件で計数できるのではないかと期待している.
更に高いLOQを期待するなら,試料を燃焼して生成した二酸化炭素をアセチレン経由ベンゼンに変換して測る方法である(9).この方法では,例えば6gの炭素から6.5gのベンゼンが得られることになり,ベンゼン自身は都合の良いシンチレータ溶媒であるのでより高いEff で14Cを計数することができる.今日までにわが国にはベンゼン合成装置が30台ほど輸入されており,ヨモギなどをマーカープラントにして原子炉からのリーク14Cをモニターしている.この方法を採用すれば1日の糞便の十分の1を測ることができる.これこそ究極のマスバランス試験法である.
MDにおけるLow BG LSCと AMSの比較
10年ほど前から,生体試料中の低レベル14C の測定法としてAMSが提案され,AMSがMDにおけるthe one and only methodのような意見が広がっている.AMSでは,グラファイトにした試料をイオン化し,質量分析管で炭素の同位体を分離し, 12Cと 13Cイオンはファラディカップでイオン電流を測定して量を求め,14C は半導体検出器に入射させて14C の個数を計測している.1個の14C原子核が1分間に崩壊する確率は約6×109分の1である.“極めて低い確率で起っている崩壊を数えるよりも14Cの個数を直接数えるAMSの方が感度の良い計測ができるはずである”というのがAMSの出発点である(3).たしかに,稀な確率で起こっている崩壊を数えるよりも14C の個数を測った方が感度の良い測定ができそうに錯覚するが,この発想には,幾つかの見落しがある.
まず,LSCのsample sizeが桁違いに大きい(普通,1000倍と見積もって良い)ことである.LSCでは,計数時間内に計数試料内で起っている14C の崩壊の70〜80%を捉えている.AMSでは,グラファイト化される収率,14Cイオン化収率(放射化分析における核反応断面積に相当),14Cイオンが検出器まで到達する収率などが問題になる.グラファイト化収率は100%と見積もって良いであろうが,他の2つについて不明である.
問題は14Cのイオン化収率である.14C原子のイオン化の過程は,中性子による放射化分析activation analysisの過程に似ている.14Cイオンの生成量は,14C の存在比(約百億分の1%)(4),イオン化粒子束密度(particles/mm2/s),14Cのイオン化収率,及びイオン化時間(=計測時間)に比例する.放射化分析では同じ元素でも同位体によって核反応断面積に大きな差があることが知られているが,Cの3つの同位体にはイオン化収率に差があるとは考えられない.この中で問題になるのは14C の存在比が極端に小さいことである.Low BG LSCではsample sizeを大きくする,計数時間を延長するなどの余地があるが,AMSではこれらの自由度はほとんどないと考えられる.
また,検出系に入ってきたものを計量している質量分析法には固有の現象である,メモリーの問題から逃れることができない.この場合にはAMS試料調製装置におけるメモリーも考慮しなければならない.また,メモリーは “positive memory”だけを考えがちであるが,BG試料が,次の試料の値を低くする“negative memory”も考慮しなければならない.質量分析計を使った経験から,メモリー効果に起因する誤差を避けるためには,測定試料の調製ステップを含めて1つの試料を3回測定し,メモリーが無くなったことを確認してその試料の最終測定値とする慎重さが求められる.すなわち,試料調製操作も含めて,実際には3倍も多くの試料を処理しなければならないということである.測定は,低い方から高い方へ行うのでメモリーは問題にならないというのは,negative memoryを考えると許されない.これに対してLSCではメモリーに起因する問題は存在しない.
AMSのsample sizeが極めて小さいことも問題である.今,分子中の1か所を無担体14C で標識された1 n molの標識薬物(標識位置以外は全てdead carbonからなる)を使ってMDを実施した場合を考えてみよう.ヒトは1日当り10 molの炭素を摂取していると仮定すると,14Cは100億倍量の modern carbon(13.56 dpm/gを含む)で希釈された状態で測定されることになる.AMSでは試料からわずか0.1 m mol Cを採って14Cを定量しなければならない.この場合,全体を精確に代表する測定試料を調製することは(特に固形排泄物では)極めて煩雑な作業になると考えられる.Sample sizeがこれより100〜1000倍も大きいLow BG LSCではこのような問題は起らない.AMSの標準的な測定試料として1〜5 dpm 14C /mg Cが挙げられている.この試料は,(LSCのsample sizeがAMSの100倍として)LSCでは100〜500 dpm/sampleの試料に相当する.この放射能レベルの試料は,汎用型LSCを使って10分間計数すれば十分な精度が得られる.ヒト尿のBGは1.5 dpm/mL前後である.筆者らは,5 mLの尿を試料とする場合には,1 mL 尿当り0.36〜12.00 dpm の14Cを添加した試料で直線性を検討している.このような理由から,AMSの標準的な測定試料として0.01〜0.05 dpm 14C /sampleの試料を用いるべきである.
測定試料の調製操作が圧倒的に簡単で,誤差要因がほとんど存在しないこともLow BG LSC法の長所である.測定試料の調製過程でLSCでは放射能による汚染だけを注意すれば良いが,AMSでは放射能による汚染のみならずdead carbonによる希釈も注意しなければならない.これらの2つに伴う誤差の影響は,試料の14C量並びに試料サイズに逆比例して大きくなると考えるのが妥当である.複雑な試料調製過程で,これら2つの誤差要因をいかに監視するか難しい課題であると考えられる.
また,炭素は,同位体存在比の変動が大きい元素であることも問題である.核化学では,15Nや18Oの同位体存在比は有効数字4桁,13Cの同位体存在比が安定しないので有効数字3桁で表示することになっている.アイソトープ手帳9版(日本アイソトープ協会)で13Cの存在比として挙げられていた1.10は,10版では1.07に変更になった. 14Cの存在比についてはあまり知られていないが,13Cと同様な変動があると考えるのが妥当である.従って,modern carbonにおける14Cの存在比は一定値であるとして14C量を算出することは危険である.
AMSに関する文献では例外なくAMSの感度はLSCの1000倍と記載されているが,感度は,その手法で測定可能な量を単位量に換算した値で比較するべきである.また,LSCの感度は,機械の型式,試料の量,計数時間,波高選別の仕方などによって大きく変動するので,これらを考慮しない比較は無意味である.AMSがより適しているのは,採取試料量が極端に制限されている試料,例えば考古学資料の年代測定に対してである.この場合にはmodern carbonによる希釈がなく,同位体存在比(すなわち,無次元の値)だけを測れば良いからである.
統計変動を付記できないAMSは放射能測定法の市民権は得られない.
自然科学において次元は最も基礎的な事項である.物質量のSI単位はmol,放射能のSI単位はs-1 で与えられるベクレルBqある.自然科学における普通の実験では容易にmolに転換できる物理現象を手がかりに実験が進められているので次元が問題になることはない.しかし,AMSによるマスバランス試験では,投与は放射能の次元,計測は物質量で,バランスシートは放射能に基づいて作成することになる.放射能と物質量は次元の異なる物理量で相互に変換できない.
Bqは,molと異なって統計変動を伴う物理量である.放射能は壊変によって時時刻々減衰していく値であり,また低レベル放射能の試料では単位時間当りの壊変数(dpm)は(測定が正しく行われていても)統計変動を伴う値である.(14Cの半減期は,実験期間の時間に比べて十分に長いのでその減衰は無視して差し支えない.)このような事情から,放射能計数法では,総計数に ± 総計数の1/2乗を付記して,その計数がどのくらいの統計変動でなされたかを示すことになっている(日本アイソトープ協会のアイソトープ手帳参照).これに対して,扱っている原子や分子の数は天文学的な数であるので,(実験誤差に伴う変動があっても)molは統計変動を伴わない物理量として扱われている.従って,AMSで得られた値の統計変動をどのように処理するか?もしそれができないなら,投与量を含めて一貫してmol量で提示するべきである.どうしてもBqや dpmで提示せざるを得ないなら,いかなる過程でmolをこれらの単位に変換したか,またどのくらいの統計変動で計測されているかを第三者にもフォロウできるようにするべきである.また,この場合には equivalent, obtained by AMS,estimated by AMS etc という修飾語が必要になるのではないかと考える. AMSで得られた14C 量(モル)は統計変動を伴わない値であるが,Bqや dpmは統計変動を伴う物理量である.従って,いったんmol量をこれらの値で表示すると,以後は全て統計変動を念頭において読まれるという奇妙なことになる.
AMSの論文には,例えば0.01dpmという非常に低い値が登場するが,統計変動という観点からこれは理解に苦しむ値である.極めて実際的なケースについて考えてみよう.無限回数LSCで測定して,1dpm 14C /mL urineという値が得られた尿1mLを1,10,100分間計数した場合のdpm値は統計変動を付けて,それぞれ
1.00±1.00 dpm,1.00±0.32 dpm,1.00±0.10 dpm
で与えられる.この場合,1.00 dpmは小さい値であるが,統計変動をつけることによってどのくらい信頼のおける値であるかが分かる.また,この試料でも100分間も計数すればまずまずの精度が得られることが分かる.
また,LSCではsample sizeを大きくすることによって統計変動を更に小さくすることができる.すなわち,同じ試料を10mLとり,1,10,100分間計数した場合のdpm/mL値は次のようになる.
1. 00±0.32 dpm,1.00±0.10 dpm,1.00±0.032 dpm
すなわち.LSCでは計数時間を延ばすこととsample sizeを大きくすることによって着実に統計変動を小さくできることが分かる.
この試料をAMSで測定したとしよう.まず,AMSでは計数時間の情報を組み込むことができない.また,AMSのsample sizeを10μLとすると,この試料は0.01dpm/sampleとなり,この試料の統計変動を議論すること自体が非現実的ということになる. LSCでは計数時間の延長,sample sizeの拡大によって定量限界を格段に向上できるが,AMSではそのようなことはできない.
低レベル放射能を扱う論文では,実験の部の放射能測定の項で使用したシンチレータ,BG計数,計数時間を記載し,どのくらいの統計変動で実験されているかが分かるようにしておくことになっている.統計変動を付記できない測定法は放射能の測定法としての市民権は得られないと考えるのが妥当である.従って,AMSによるMDでは,投与,試料の測定,バランスシートの作成の全ステップをmol量で行うべきであると考える.
AMSと LSCの測定値の相関性を0〜10000 dpmにわたって検討し,両者の相関性は良好であると報告されている.この放射能レベルは端窓形GM計数管でも測れるレベルである.相関性は,生体試料で,もっと低レベルの試料,例えば0〜10dpm/mL urineを用いて検討するべきである. 筆者は,AMSの性能に強い関心を持っている.両測定法を比較するために,この章に提示したTable 1, Fig.4, Fig. 5に対応するデータをAMSでも早い時期に提示して頂きたいと考えている.
誤差論からいってもLow BG LSCははるかに有利である.この方法では,試料中の14Cの計数だけを求めれば目的を達する.AMSでは,14C(パルス数),12Cまたは13C(電流値),総炭素(モル量)の3つの,全く異なる物理量を求めなければならない.これらが,どのくらいの誤差で測定されているか明にされていないが,それぞれに1%の相対誤差を伴うとし,最小二乗法で総誤差を計算するとは約1.7%に達することになる.
もう1つ問題になるのは半導体検出器で捉えている14Cイオンの個数の問題である.“AMSは14C の個数を数える手法である.したがって,稀にしか起らない崩壊数を数える方法よりも,AMSは高感度のはずである”というのが,AMSの高感度性を主張する原点になっている.そもそも原子1個,1個を数える方法は存在しない.この問題を,この分野におけるAMS のパイオニヤである Garnerらの論文(12)のデータを参考にして考察してみよう.なお,1dpmは6×109個の14Cに相当する.モデルとして,AMSでは1 dpm/0.1 mmol carbonの試料を,Low BG LSCでは 1 dpm/1 mL urine 5 mLを100分間計測する場合を考える.Garner論文では,14Cイオンは少なくとも1000個を計測すると述べているので,AMSの計測時間は,1000個の14Cイオンが検出器に入射する時間とする.AMSの試料には,6×1019個の炭素原子の中に6×109個の14Cが含まれていることになる.すなわち,計測しているのは試料中に存在する14Cの6百万分の1に過ぎないということである.Low BG LSCの計数効率は80%前後であるので,前記のモデル試料では400カウントを与えることになる.Low BG LSCの試料サイズはAMSの100〜1000倍も大きいことと,桁違いに長い時間計測できることを考えると,実用的な試料で,14Cの崩壊の確率が小さいことは完全に帳消しになる.
BG値を2倍にする放射能をもって“有意の放射能”としている研究室が多い.ヒト尿の14C BGは1dpm/mL前後であるから,筆者らはこの濃度を中心にして検量線を検討している(Fig. 4,5参照).Modern carbonには13,56dpm14C /g carbonが含まれている.AMSの試料サイズは0.1 mmolであるから,0.016 dpm 14C /sample 前後の試料について直線性を検討するべきである.
AMSがその威力を発揮できるのは,試料の採取量が極端に制限される重要文化財のcarbon dating(この場合には,14Cと12Cのモル比だけが問題になる)やある種の免疫分析(modern carbon量が小さい)の場合であると筆者は考える. carbon dating においても有機物の多い試料ではLow BG LSCが有利といわれており,最近では,ガソリン中のバイオ燃料の含量がLow BG LSCで手軽に測られている.
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