表紙  序・訳者序  第 I 章  第 II 章  第III章  第 IV 章  第 V 章  第 VI 章  第VII章  第VIII章  第 IX 章  参考文献




 本書はプロメテウスの偉業を述べた物語である。伝説によれば、プロメテウスはオリンポスの山から火を盗み、これを死ぬべき運命にある人類に与えている。人類は火を管理し、神の大権を手に入れて自然界の統率者となった。

 かくして、プロメテウス神話は人類に専門知識という能力を賦与した象徴的な物語となった。

 アリストテレスは『形而上学』のはじめで、技術者と経験主義者の相違は、前者が自分の行っている行為とその理由を知っているが、後者は知らないことだといっている。彼は薬物学を例にあげ、「技術者はカリアスの病気を治した治療法で、ソクラテスの病気も治ると判断するが、そうでない人たちは経験の賜物であると捉らえる。しかし、単一疾患、粘液質・癇癪質に悩む人、発熱患者すべて対して、適切な薬を知ることは専門知識の問題である」と述べている。

 ただの経験主義者よりも優れていると思っていた古代の技術者は、自分が本当の科学者で自然の究極的な構造の秘密がわかっていると考えていた。自然を変える力やその力の限界ももちろん知っていた。定まった理法を実質的に変えられず、偶然にしか現実を変えることができない点もわかっていた。かくて、彫刻の技術者であるフェイディアスやポリュクレイトスは、大理石を創造しなかったし、また徹底的に改造することもなかった。彼らは量感や形など細部を変えたにすぎない。自然の調節や人間化、すなわち天然物を「work of art(作品)」に変えること(arsはキリシャ語tekhneのラテン語訳)、これはけっして小さな業績ではない。

 ギリシャや中世の薬物学、あるいは初期の近代薬理学を扱った章を読めば、多くの世紀にわたって薬理学者が、いかに優雅な気配りを行って多種多様な植物を整然と、しかも洗練された作品に創りあげようとしたか気づくであろう。技術者や芸術家、あるいは一番新しい自然の奉仕者で新参の親方である薬理学者の仕事により、少しずつ無秩序/混沌(chaos)から秩序/調和(cosmos)に変っていった。プロメテウスに近い人たちが登場してきたが、まだプロメテウスではなかった。

 プロメテウスの誘惑を強く感じたのは、あまり存在感のない無名の人たち、すなわち自然から人類を解放して、主人に対する僕の地位を向上させ、人類の伝統的奴隷制を擁護する壁を大胆に跳び超えて自然に帰り、自然を完全に支配する力を確立することが、古代からの目標であるとした人たちであった。錬金術師は偶然にできた物質の処理法に満足しなかった。物質の変換術を修得したいと考えていた。新しい真実、つまり古来より神のために残してあった能力を創りだした。数世紀の間、錬金術師の努力は成功しなかったが、これは天から落ちた大天使ルーシァのように、自分たちの傲慢さに対する罰であると考えていた。しかし、17世紀にボイル、シュタール、ラヴォアジェが開いた化学は、物質変換の製造や制御という古代のプロメテウスが描いた夢を現実のものとした。化学者が当初から天然物の性状だけを研究対象にしていれば、19世紀までに研究室で化学物質が精製でき、原料や天然物よりも純良な製品が完成したであろう。ドロネは1803年にナルコチンを単離してこの分野に参入した。モルヒネ、ストリキニーネ、カフェイン、キニーネ、アトロピン、ジギタリンなどの活性成分も、この方法で速やかに発見された。当然、つぎの段階にすすみ、ウェーラーの例(1828年にアミノ酸から尿素を人工的に合成した)にしたがって、薬理学者たちは自然に存在しない薬理学的に新しい物質の製造や合成にとりかかった。実際、プロメテウス神話に属するこの仕事は、19世紀にひっそりとはじまり(シリーズの第一段として1832年にリービッヒが抱水クロラールを合成し、1869年にはじめて人で治療に使用された。第二の製品は1833-1899年のアセチルサリチル酸で、19世紀末近くにポール・エールリッヒの業績を経て今世紀に科学的な薬理学の発展をもたらす意欲的な研究計画となった。古代の夢は現実となった。薬理学者はかつて仕えていた自然の統率者となった。そのうえ創造者、つまり自然の創造者になり神の大権を手にしている。近代の夜明けにパスカルが予言したように、薬理学者は小さな神(un petit Dieu)になった。 

 プロメテウス神話には第二部がある。ゼウスはプロメテウスの行動に対し、パンドラを大地へ送り込んだ。ヘーパイストスが粘土で女神像としたパンドラは、アテナの一番立派な服を身につけ、グレイスが宝石で飾り、ホーレが花をつけ、アフロディアの美しさをもっていた。しかし、ヘルメスはパンドラの悪徳を批判し知性のなさを指摘した。薬理学は今日、パンドラの悪徳と共通するものに苦悩し、同じ危険性を多少、共有しているようだ。この点を考えると冷静な判断は難しくなり、近代薬理学はある人には徳の泉として讃えられ、人によっては悪徳の典型と思われている。ギリシャ神話は私たちに、パンドラの箱について二つの伝説を残している。古典版によれば箱のなかには悪徳と疫病が入っていて、一度開けると大地を汚す。別の版では、パンドラの箱にすべての徳がおさめられ、蓋を開けると徳はオリンポスの山にもどってしまうが、たった一つ希望だけが残る。この希望がプロメテウスの大いなる希望で、永遠の生命という希望である。アポロンがシテロン山に成育する薬用植物に詳しいキロン(ケンタロス)に報いて、息子のアスクレピオスの教育を託したが、プロメテウスはキロンから永遠の生命をえている。薬理学は永遠の生命と同根である。これは桃源郷に住む人たちの希望であって、私たちが悲壮な力で掴んだ終末論的な夢である。ともかくここで、魔術から解き放たれたようだ。プロメテウス伝説に重ね合わせた見方は少なくなり、薬理学が人間の寿命を延ばす希望を抱かせるが、永遠の生命を与えることはできない。おそらく薬学が技術的・史詩的な面とともに、もっと悲劇的なもの、人間的なもの、すなわち経済・政治・社会・文化的な特徴をもっているからだろう。

 医史学者が著わした本書は、医療に関する事柄、薬や薬物治療など薬学研究に関連する諸問題の一つに焦点をあてた。第T章の治療法は「cure(治療)」の意味とともに、「service(奉仕)」や「care(看護)」についても触れている。「care(cura,看護する)」と同じ概念のcuratioがラテン語にあり、「lack of care(incuria、無関心)」が反対語である。一方ギリシャ語の動詞 「iatreuo(治療する)」は、同時にcareとcureを意味している。医師は診断ばかりでなく、ときには治療を実践し、たえず看護にあたっている。看護しながら治療することが、おそらく、すべての医療活動の最初で最後の根拠であろう。         

 本書の統一性は各執筆者に共通しているが、直接、ペドロ・ライン・エントラルゴ教授の教えに帰するものである。本書をエントラルゴ教授の75才の誕生日に、感謝を込めて捧げるものある。 

                               ディエゴ・グラシア・ギレン





訳 者 序

 本書はスペインの医史学の泰斗で、マドリッド大学の学長を務めたペドロ・ライン・エントラルゴ教授の誕生日を記念して、門弟のディエゴ・グラシア・ギレン教授らが著わした『HISTORY OF MEDICAMENT』を翻訳したものである。
 原著は227枚のカラー図版を中心に、薬の歴史を記した優れた概説書である。原始社会から古代、中世、ルネッサンス、啓蒙時代を経て、近世の科学の発達に支えられて、薬物学・薬理学・薬学の今日に至るまでを俯瞰し、薬と人類が歩んだ道をわかりやすく解説している。とくに薬を通し人類学的な視点から筆をすすめているので、薬の文化史に関心をもつ者には必読の入門書といえるだろう。
 スペインは地中海文化やアラブ文化、そしてキリスト教文化が土台となり、歴史的にも独自の文化圏を形成している。もちろん医薬の歴史に関する研究も活発に行われ、その分野での評価も高い。
 幸いにしてスペインの学者が英語で書いた珍しい英語版とスペイン語版の本書を入手したので、欣喜雀躍して読みはじめたが、ラテン語系の表現が多く一般の英語とは一味も二味も違った内容であった。
 紹介された図版もはじめてみるものが多く、新鮮な印象である。表現がいささか難解な翻訳文となってしまったが、筆者の勉強不足のためであり原著に責任はない。読者諸兄のご叱正を受けて、内容を充実させることが今後の課題と考えている。本書の翻訳を快く承諾された日本ベーリンガーインゲルハイム社に感謝いたします。

                               2008年6月 寺 澤 孝 明